頭痛専門 御茶ノ水中村かえる整体院

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院長の生い立ち

私の性格と芝居に明け暮れた学生時代

私はどちらかというと初対面の方に対しては人見知りです。
子供の頃からでした。
内向的な性格だったのでいつも学校から帰るとせっせと一人で折り紙をしているような少年でした。おかげで手先の器用な人間になりましたが(笑)。
友達も自分と本当に気の合う友達とだけ遊ぶことが多かったです。
なぜかほとんど女の子の友達ばかりでした。

中村

もちろん人前で話すときはとても緊張するのでその日は決まっておなかが痛くなっていました。
学校で黒板の前に立って皆の前で発表しなければならない時などは嫌で嫌でたまらなかったことを覚えています。
先生や親からは、「もっと元気に!」「もっと積極的に!」などと言われることが多くなり、まるで自分自身を否定されたように思ってしまい、余計にふさぎ込んでしまいました。
いつしかそんな自分の存在や性格に対してコンプレックスを抱くようになりました。

逆にその悶々として鬱屈したエネルギーがいずれ、舞台上でならば違う人格を堂々と演じられる俳優への道へと自分を導いていくのです。

演劇との出会い

大学に進学したものの、ここで自分は何をやりたいのか?これから自分は何のために生きていくのか?という目標を持てないまま過ごしていました。
そんな自分にも、「このままでは一生何もないまま親や社会のレールに乗った人生を歩むことになる」という思い込みから、得体のしれない虚無感に襲われました。
そして「このままではいけない!」というあせりのような、不安のようなものがどんどん膨らんできました。
「自分の人生を生きていない」という感覚、「自分にはきっとやるべきことがある」という直観のようなものがありました。

当時の大学にはサークルというものが花盛りでしたが、真面目に勉強するサークルか、テニスサークルのような軽いノリのものばかりで、自分には全く興味をひくものはありませんでした。 そんな中で、ひときわ異彩を放つ集団が自分の前に現れます。
大音量で尾崎豊の詩をスピーカーから流し、裸で歌いながらビラをあたりかまわず巻く、今思えば、ちょっとおかしいんじゃないのか?という感じの人たちが自分の前に寄ってきて、「本当の自分探ししませんか?」と近寄ってきました。
ますます怪しいですよね(笑)。
ビラを見るとその集団は劇団でした。
「地下で毎日稽古をしているから、いつでもおいで!」と言われ去っていきました。

数日たっても、なぜかその劇団との出会いを忘れることはありませんでした。
むしろますます、「何をやっているんだろう?」という興味がむくむくと湧いてきました。
そして、足は勝手に稽古場のある地下へと歩き出していました。

きっと、自分が求めていたからそこへ足を踏み入れたんでしょう。
それから自分の人生は芝居一筋、10年以上どっぷり足を踏み入れることになります。
実際に劇団に入ってからは、お金はないけど、こんなに生きている充実感を毎日感じながら生きていると思ったことはありませんでした。
毎日がキラキラと輝き生きている実感を得ていました。

中村


中村
劇団俳優座養成所時代

今は芝居をやめましたが、この10年間の体験が今の自分の多くを形作っていると思います。
たくさんの経験をして、悩んだり迷ったりしながら、何年もかかって自分の道を探しました。
そうして紆余曲折を経て、現在の仕事にたどり着きました。

中村かえる整体院を通して自分の人生を表現(アート)してゆきたいと考えています。
そして、施術・情報発信・患者さんとのつながり・日々の会話を通して出会う人たちと健康の喜びを分かち合ってゆきたいです。

体調の悪化と挫折感

俳優の生活は一般の方とは違います。朝と夜が基本逆転した生活になります。
普段は夕方から稽古をして夜の8時9時までくたくたになるまで身体と集中力を使います。
気分は高揚しているのでそのまま周りの劇団員と飲みに行き、夜中まで演劇論を戦わせます。
夜中から、居酒屋かコンビニのバイトをして、朝帰宅し昼過ぎまで寝ます。
公演中も毎日終わった後打ち上げで夜中まで飲みに行くような生活です。
私の今の生活からは考えられないくらい、昼夜が逆転して、不規則な生活をしていました。

それでも若くて体力も余っていましたし、何より毎日人生が充実していたのであまり睡眠もとらなくても、元気に過ごしていました。
それでも、そんな生活をずっとくり返していると、だんだん体のリズムも調子が狂ってきます。
芝居を始めて8年位たった頃から、今までに感じたことのない体の不調を感じるようになりました。
一晩眠れば治っていた疲れがなかなか抜けなくなってきました。

精神的にもかなり追い込まれていました。その頃は年もすでに20代後半。役者だけで食べていけるのはほんの一握りの厳しい世界。どんなにたくさん努力しても、どれだけたくさんの稽古を積んでも日の目を浴びない役者さんがほとんどです。これから自分はこの世界で生き残って食べていけるだろうか?いつまでも夢を追いかけるだけの人生でよいのだろうか?という不安を毎日抱え、日に日にその不安は大きくなっていきました。
不規則な生活をくり返して、肉体的にもバランスを崩していた体に、さらにこのような精神的なストレスが加わり、体調が一気に悪化しました。
29歳になった頃辺りから、なんだか何もする気が起きない、全身がだるい、頭痛、めまい、吐き気、ふらつきなどを感じるようになりました。

「このままではいかん!」「明日から何もすることがなくなったらどうしよう・・」という焦りのような、不安のようなものがどんどん膨らんできました。

毎日悶々と過ごしているうちに、体調がさらに悪化しました。
昼眠りから覚めても何もする気が起きない、だるさ、めまい、吐き気がものすごくひどくなって、天井がぐるぐる回りだしました。
時折、聞いたこともない声まで聞こえてくるようになりました。
稽古にもバイトにも行けなくなりました。最後には、自分は生きている価値がないと感じて、何度も夜中に歩道橋の上から飛び降りようとしている自分がいました。

今思えば、なんてことを!と思いますが、この当時の自分には自分自身を俯瞰できるほど余裕のある状態ではなかったのです。
いつも行っていたバイトも何週間も欠勤し、劇団も行けなくなりました。
心配した同僚がお見舞いに来てくれて、病院にまでわざわざ一緒に連れて行ってくれました。

お医者さんから出た言葉は「異常なし」でした。

他にも幾つかの病院を回りました。
でもどこへ行っても、「生活習慣を見直してください」「疲れが溜まっているだけですね」といわれ、よくわからない薬をもらって、様子を見るように言われました。

なんとか起き上がれるようになっても、37、8℃くらいの微熱がずっと続きました。
歩くとフラフラめまいがして、この先将来きちんと生きていけるのだろうかと不安になりました。

今考えると、自律神経のバランスをくずしてうつ状態になっていたのだということがはっきりわかりますが、当時は今ほど心療内科や精神科などもたくさんありませんでしたし、自分自身も健康に関する知識もさっぱりでしたので、この先どうやって生きていけばよいのかわからなくなるくらい不安でした。

病院へ行っても原因不明と言われ、薬を飲んでも効かないので、自分で健康に関する本を読んだり、健康関連のサイトを検索して勉強を始めました。
西洋医学では症状を抑える治療をしますが、東洋医学では症状は結果であり、症状の原因である生活習慣を改めることが大切であることを知りました。
また、人間には自然治癒力という素晴らしい力が備わっていることを知りました。

整骨院や接骨院はもちろんのこと、ありとあらゆる整体、カイロプラクティック、ストレッチ、ハリ、マッサージ、気功、中国整体などさまざまな民間療法を受けました。
恐らくそれだけでウン百万円使ったと思います(苦笑)。藁をもすがるとはこのことですね。

そうして、出来ることから生活を改善していくうちに、徐々に良い体調を取り戻すことが出来たのです。

とある整体師との出会い

何とかアルバイトには復帰できましたが、劇団に復帰できず、年齢も30歳を超え、これからどうしようかと途方に暮れていた時、劇団時代に身体のケアを担当してくださった方からの紹介で「手技療法の学校にいってみたらどう?」とある整体学校を紹介してもらいました。
手技療法と言われるものは様々な種類があります。国家資格である、柔道整復師、鍼、灸、あんま・マッサージ師、民間療法の、カイロプラクティック、整体、オステオパシー、リフレクソロジーなどなど。
そんな中で「ここの校長先生はすごいから!現役の整体師で施術もしてくれるから受けてきたらいいよ。」と言われ自分も興味を持つようになりました。
それまで様々な治療を受けていたので、そんなに凄いなら受けたらわかるかも、と思いその先生の施術を受けることにしました。

こわい先生だったらどうしよう、、と思って一抹の不安を抱えて整体院のドアを叩きました。しかしその不安は杞憂でした。
とてもニコニコと優しく出迎えてくれました。

座ってカウンセリングを受けている最中からなぜか身体がラクになっていくのを実感しました。

「何かが全然違う!!」

うまく言葉に出来ないのですが、衝撃が背中を駆け抜けました。
施術後はまるで自分の身体ではないような心地よさに包まれていました。

自分もこの先生のように人に感動を与えられる存在になりたい!

その後もいくつかの学校の資料を取り寄せましたが、結局その校長先生から教わりたいという気持ちが一番強かったのでその整体学校に入ることに決めました。
その整体学校での授業は校長先生中心の授業でしたが、基本のカイロプラクティックのテクニックにとどまらず、操体法やオステオパシー、アプライドキネシオロジー、カウンターストレイン、気功など様々な手技療法のテクニックを教わりました。
ここで教わったことは今でも自分の財産になっています。

これらの手技療法を専門に学び骨格矯正や筋調整、神経バランス調整の技術を中心に身につけていきました。

多次元操体法との出会いと慢性頭痛の改善


中村

整体学校を卒業した後、千葉県、都内の3ヶ所の整体院に就職し、たくさんのクライアントさまの施術を担当させて頂きました。
しかし、どこの整体院でもやっているのは全身筋肉のほぐしとバキバキと骨を鳴らす骨格矯正でした。
都内の大半のカイロや整体院で行なっているような方法です。
都内に限らず、全国的にも一般的なカイロプラクティックや整体院で行なっているような施術方法でした。

自分も最初はそのやり方に疑問も抱かず、日々アジャストテクニックを磨く毎日でした。
テクニックが上達するのと比例して、身体の結果・効果も出て、クライアントさんからも「すごく楽になりました」「先生、すごいですね!」と言われますから、この方法が正しいと信じて行なっていました。
おかげでカイロプラクティックのアジャストは自分で言うのもなんですがとても上手になりました。
しかし、今考えるとずいぶんと荒っぽいことを平気でしていたなぁと思いますし、クライアントさんの身体にも相当の負担をかけていたと思います。

そして、自分自身に無理をしながら施術をしていたことに改めて気づくことが起こりました。
勤務時代、店長を任されていた頃、お店の売り上げと、スタッフマネージメント、何よりも自分が頑張らねば!と施術も朝から夜遅くまでやり続ける毎日が続きました。
無理がたたったのか、ある日、朝起きると全く腕が上がらなくなっていました。
少しでも腕を上げようとすると肩に激痛が走ります。
もちろん押すと更に激痛が襲います。しばらくほおっておいたのですが、施術もできず、夜間痛から睡眠不足に陥り、イライラは最高潮に達していました。
仕方なく病院に行くと、腕の使い過ぎによる右肩関節の腱板損傷と診断されました。
しばらく期間の安静を指示されてしまいました。

この出来事を境に、自分自身の今までの施術に対する疑問を感じるようになりました。

「何かがおかしい・・・。」
「何かが違う・・・。」
「何故毎日コリ退治のために戦わなければならないのだろうか?」
「その方なりの事情があって歪んだり凝ったりしているわけだから、お互い無理をしてそれをどうこうしようとすること自体がおかしいんじゃないのか?」
「無理を続けた結果、自分自身にも負担をかけ続け、消耗剤になってしまっていたのではないか?」

そして、
「クライアント様のコリと格闘したりせずに、クライアント様の身体に無理を掛けずとも楽にできないだろうか?」
「自分も肉体的にも精神的にもしんどくなくて、でも同時にお客様も深く満足して癒される、そんな施術はないのか?」

と考えるようになりました。

自分と同じようなことを考えている先生はほかにいないのだろうか?と思うようになりました。
ネットなどで情報を探しているうちにたどりついたのが、仙台でちょっと変わった操体法をされている先生でした。
月に2回講習会もされていると聞きました。

「ここに行かなければならない。」

直感的にそう思いました。
ためらうことなく、講習会に参加してみました。
自分の求めていたものがすべてそこにありました。

操体法は仙台の医師・故橋本敬三先生が創始した療法です。

「操体はホドコシにあらず ハカライなり」

多次元操体法は「操体法の哲学」による自然治癒のメカニズムと、「引き寄せの法則」による人生の意図的創造の方法論を独自に融合させたものでもあります。

私は治せないし 治しません
答えはあなたの内にあります
どうしたらよいか 体に訊いて教えてもらいます
痛いところはそっとしておきます
心と体の歪みを斉(ととの)え あとは自然にお任せします
痛いところはそっとしておきます

今まで自分の考えていた手技療法の考え方と180°違うものでした。

操体法のことは整体学校でも教わったことがありましたが、多次元操体は自分の知っていた操体とは全く違うものでした。
こんなに繊細でいいのか?と思うほどやさしい整体です。
でも身体の深部に効いていくのでびっくりするくらい身体が変化していきます。
それからというものの、頻繁に先生の講習会に参加させていただくようになりました。

中村
講習会の様子

先生の勉強会に参加するようになり、肩の痛みも回復し、なんと、それまで20年来の頭痛持ちだったのにもかかわらず、すっかり頭痛がなくなるというミラクルまで起きたのです!!

なぜ頭痛がなくなったのか?
それはただ単純に辛いところに対してこういうアプローチをしましたよ。的な話だけではありません。
それなら、今までいくつもの治療院に行ってきましたからとっくに頭痛は治っているはずです。
自分の中で改善した一番の理由は、多次元操体の考え方・在り方にあると思っています。
今までは、クライアント様の為なら自分を犠牲にしても頑張ることが当たり前だと思い込み、日々、自分自身の素直な感情に蓋をして施術をしていました。
自然法則に対して無理をして生きてきていました。
しかし、多次元操体の考え方は全く違います。

・自分の今ここの感情を大切にする。
・おかしいと思うことをそのままにしない。
・60点でちょうどいい。
・頑張らなくていいんだよ。
・理(ことわり)がないから無理が生じる。

などなど。

これらの言葉たちは、自分の中にすっと入り、どれも腑に落ちるものばかりでした。

多次元操体法では、単なる一つの治療テクニックとしてではなく、クライアントさんの人間そのものを診るという姿勢、治療するという意識でなく、患者さんの体から教えてもらうという意識、民間療法家としての自分自身の考え方・あり方も勉強させていただいています。
そしてこれからも一生の財産として学びを続けていこうと思っています。

現在では多次元操体法の哲学が当院の施術の主軸となっています。

中村
2021/4/4 当院で開催された多次元操体法講習会

念願の「中村かえる整体院」をオープン!その由来とは


中村

そして2017年。
過去3院での勤務を経て、文京区御茶ノ水・本郷に自分の理想とする整体院「中村かえる整体院」をオープン致しました。

院の屋号を考える際に、どんな自分になりたいか?クライアント様にどんな風になって頂けたら嬉しいか?をいろいろ考えてみたんです。

・本来の自分にかえる
・本来のあなたにかえる
・楽だったあの頃のあなたにかえる
・希望を持った自分にかえる
・笑顔のあなたにかえる
・身体も心も若がえる
・おかえりなさい

そんな場所を目指して“中村かえる”という屋号をつけました。
ちょっと変わった整体院ですが、あなたのお役に立てるように誠心誠意精進していく所存です。

当院での施術が自分の体がとてもラクになることを知るキッカケ、また御茶ノ水・本郷・湯島周辺にお住まいの方の健康維持のためのお手伝いが出来ればと思っております。

御茶ノ水中村かえる整体院の電話番号


▼アクセス

住所:東京都文京区本郷3-2-5 丸和ビル502


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